(165∥補遺15)信越線321レ EF62とともに

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  • Опубликовано: 27 окт 2024

Комментарии • 2

  • @dai2asakaze
    @dai2asakaze 3 года назад +5

    ジャーナルの列車追跡でも取材日はマニ37でしたね
    尾久はマニ37の方が多かったし別に使い分けする訳でもないので
    パレット車でも普通に使われてたようです
    手元に昭和51年2月の時刻表があって見てみたけど
    高崎を5分前に先行する妙高2号が長野に1時間ほど先着
    8分後に来るあさま2号が長野に1時間20分先着
    挙げ句の果てには1時間8分後発の白山1号が長野に17分先着(笑)
    軽井沢8分停車と小諸7分停車以外は長停車もないのに
    意外な感じがします
    そやけどロクニのブロアー聴きながらの長旅もええやろなぁ
    この時代の信越線やったら181系が189系にやっと置き替えられたけど
    まだ80系が横軽超えて高崎まで頑張ってるし70系や旧国が横軽前後のローカルで健在
    タイムマシンがあったら行きたいなあ

    • @syouwapoppo
      @syouwapoppo  3 года назад +2

      お応えありがとうございます。マニ37そういえば、北スミかもしれません。後程確認します。大概、北東荷とか北東郵と札差に運用番が入っていましたが、記録に残していなかったことから、この日たまたま付いていなかったのかもしれないです。東京圏から出る長距離普通は中央線・東北・常磐もマニ60をよく見かけました。盛アオの急行八甲田は、新聞輸送のマニ37とスニ41でした。こうした話題が共有出来ることに感謝です。